極度の対人恐怖と人間嫌悪による不登校:第二因子・第三因子編

(極度の対人恐怖と人間嫌悪による不登校:第二因子・第三因子編)


しかし、DKちゃんの苦しみはまだまだ続きます。

入った高校は、不登校対応型。
ゆえに、不登校経験者が多くいます。
タイプは2つに分けられます。
ひとつは、かつてのDKちゃんのような神経症・対人恐怖・精神不安定型。
二つ目は、ハデ・キャピキャピ・ヤンキー・素行不良・目立つ型。

神経症型は、高校へ入っても(トラウマ治療をやっていないので)当然休みがちで、DKちゃんによると全然来ない子もいるそうです。
目立つ型は、明るいのは良いのですが、人の領域を無邪気に浸食します
入ってきてほしくない領域にです。

そしてDKちゃんは再び精神不安定に。

クラスの女子に誘われたといっては悩み、無視されたといっては悩み、「ああ言われたこう言われた」といっては悩み、一緒に遊んだら悩み、一緒に遊ばなかったら悩み、自分のことをしつこく聞かれたといっては悩み、女子同士のトラブルが起きては悩み、どちらにどうアドバイスしたらいいのか悩み、近づくことも距離を置くこともできずに悩み。

クラスの男子に声をかけられたといっては悩み、告白されたといっては悩み、男子がこっちを見て何か話していたといっては悩み、男子に無視されたといっては悩み、よく話しかけてくる男子が自分に気がありそうだといっては悩み、その男子は解離性同一性障害(いわゆる多重人格)があるといっては悩み、クリスマスに誘われないといっては悩み。

高校でのトラブルの記憶除去と、残った中学の記憶除去とを並行して進めていましたが、全く追いつきません。

そしてまた男性恐怖が復活し、「お父さんですらイヤだ」(新井てるかずは平気)、お母さんに対しては「あたしは本当はお母さんの子供じゃないんじゃないかと思う」とまで。
またおどおどした雰囲気をまとい出し、髪や表情、服装もチャームポイントが全く映えません。


その頃東日本大震災が発生し、しばらく中断した後、6月から再開しました。
そのときはこんな状態でした。

・学校はほぼ毎日行っているが、遅刻がほとんど。時間に間に合わせようという気がない。結局休む日もある。
・今週はテストで午後からだった。お母さんが車で送れば行けるが、身体が重い。
・毎朝起きると「あれしなきゃ行けない、やだな」。
・楽器も触らなくなった。「中学時代を思い出す」。
・友達との会話ですぐ落ちる。
・地震を強く恐れる。

なんとついに音楽からも遠ざかったか。とても良い状態とは言えません。

さて、私は以前DKちゃんのお母さんのカウンセリングとトラウマの記憶除去も行ったことがあり、そのとき、お母さんは相当苦労されたこと、DKちゃんの出産時にお母さんは産後うつになったことを知っていました。

この子に第二因子があることはうすうす感づいていましたが、6月当時ようやく第二因子と第三因子の理論骨格が固まったこともあり、産後うつも第三因子に含まれると考え始めていました。

そこで、DKちゃん、お母さん、妹さんの3人同席のもと(余震がこわいので妹さんを家においておけない)、「第一因子の追求はひとまず中断します。第二因子、第三因子があれば先に除去し、根本的な安定化を図りたいと思います」と述べ、洗い出しを開始。すると...



DKちゃんの第二因子

・何か言われても「わかった」と返事して、すぐ忘れる。
・算数、体育が特に苦手。
・小1か小2のころ、先生の説明が理解できなかった。読み書きが苦手だった。
・幼稚園で、先生が「みんな集まって」といっているのに、DKちゃんだけが動かず、あとで行ったら先生にすごいにらまれた。
・他の子より話をするのが遅かった。言葉が出ないので人との会話をしない、会話にならない、園児たちがしゃべっているのを見て「ああ、しゃべっているな」。輪にも入らなかった。
・年少の夏休みでディズニーランドへ行って、ミッキーマウスやパレードを見て、夏休みを過ぎてから機関銃のごとくしゃべりまくった。それ以降人見知りはなかった。全然手がかからない子だった。みんなの中にすんなり溶け込めた。会話ではなく、感覚的にすーっと溶け込んでいた。おもちゃは人に持って行かれても拒否しない。
・絵はすごく苦手で描けなかった。
・高校の生活体験談の作文が書けなかった。工作もすごい苦手だった。
・選択を迫られると「どっちでもいいよ」という。
・説明は下手。
・待ち。徹底的な待ちの性格。つまり誘われないとダメ。
・幼い頃からゆっくり食べる。量は食べるけど、与えなければ食べない。自分からも食べない。やせ気味。便秘。胃もたれしやすい。
・幼少期からじんましん、便秘、ぜんそく、肉は大好き、お魚嫌い。
・小1の頃は調子が良ければ夜ちゃんと寝て朝ちゃんと起きて人より早く学校へ行く。起きなくなったのはトラブルがあってから。

病名などはここでは避けますが、第二因子がかなり色濃く表れています。
さらに...

DKちゃんの第三因子

・DKちゃんが生まれてから2歳まで、お母さんは産休をとれていたが、半分うつ状態で、外にも全然連れて出られなかった。ずっとお母さんの実家のおばあちゃんに3歳まで預けていた。このおばあちゃんは良い方で、DKちゃんをよく構ってくれた。
視界に入る範囲にお母さんはいなかったので、一人遊びをしていたか、ぼーっとしていた。
・お母さんに甘えようとしなかった。記憶はない。
・子守歌を歌ってもらった記憶はある。起きているときに構ってもらっている記憶はない
・お父さんは構ってくれた。仕事から帰ってきたときにくすぐられたり。
・歩けるようになった頃、いきなり走り出して止まった。お母さんに「おいで」といわれたけど動かなかった。「おいで」といわれても動かなくて、仕方なくお母さんがだっこして一緒に移動した。
・お母さんにだっこされてもいやがったり、だっこされても頭を胸に預けたりしなかった。
・おばあちゃんはよく構ってくれたが、スキンシップが全くといっていいほどなかった。頭をぽんぽんとはたくような感じで触れるだけ。今思うと「もっとなでてほしかった」。
・さらに父方のおばさんも問題のある方。


お母さんに甘えようとしなかった、おいでと言われても動かなかった、だっこされてもいやがった...。
これらから、お母さんに対する愛着障害が見て取れます。

この時期の愛着障害は、対人コミュニケーションや社会適応力などの形成に、生涯にわたって大きな問題をもたらすといわれています。


***********************************

これはお母さんとおばあちゃんを非難するモノではありません。

産後うつは医学的な問題ですし、スキンシップの重要性は、おばあちゃんの世代はもちろん現代においても全く認識不足だからです。

なお、ヒト(すべてのほ乳類含む)の乳幼児期にとって、親のスキンシップが精神と知能、身体の健全な発達に必須であることは、科学的に証明されています。

***********************************


さて、それ以降のカウンセリングで、
・母方のおばあちゃんの上記の記憶、
・お母さんの上記の記憶、
・父方のおばあちゃんの離婚相手(酒乱でDV男)
の記憶を五感変容メソッドで徹底的に除去しました

この時点で
・毎日登校、遅刻なし。夏休みの宿題も完遂。
・テストも受け、勉強も行っている(まだまだ不十分だが)。
・以前のように自分の出自や男性恐怖、クラスメートに振り回されるなどのことを言わなくなった。
・理系の大学進学を希望し出した。

かなりの手応えを感じながら、まず第三因子の除去を行って、第二因子がどう変化するか(改善するか)を確認していこうと考えています。